大晦日の前日に、メールマガジンで稼ぐノウハウを発売しました。
年末の忙しい時期にもかかわらず、44時間で253冊の販売
(成約率9.04%)を記録しました。
発売後2年が経過しても売れ続け、2年間で合計1150冊の
売上となりました。
ノウハウの内容も評判がよく、本書の核となる部分は今でも
通用する内容になっていると自負しています。
つまり、メールマガジンで利益を出す方法は、3つの要素から
なる方程式があり、その3つの要素を高めることが大切だと
いうことですね。
大晦日の前日に、メールマガジンで稼ぐノウハウを発売しました。
年末の忙しい時期にもかかわらず、44時間で253冊の販売
(成約率9.04%)を記録しました。
発売後2年が経過しても売れ続け、2年間で合計1150冊の
売上となりました。
ノウハウの内容も評判がよく、本書の核となる部分は今でも
通用する内容になっていると自負しています。
つまり、メールマガジンで利益を出す方法は、3つの要素から
なる方程式があり、その3つの要素を高めることが大切だと
いうことですね。
話題性のあるコンテンツを一晩で、
しかも僕のメルマガだけで、
2,622,400円売り上げることに成功
しました。
(アフィリエイト報酬は786,720円)
今でこそ、1ヶ月のアフィリエイト報酬が数千万円という
事例は多くありますが・・・
当時のメルマガアフィリエイトとしては1日で50万円
以上というのは珍しく・・・
当時としては圧倒的な販売力を発揮し、情報起業・
アフィリエイト業界に大きな影響を与えました。
サイパンの旅行中に、毎日メルマガを発行し、
いつも通りに利益を生み出すことができました。
どこでも仕事ができる。
いつでも利益を出す事ができる。
この事実はメルマガ業界で話題になりました。
最近は「ノマドワーク」と言われる、事務所がなくても
仕事ができるスタイルがもてはやされている感が
ありますが、2004年当時から、そのスタイルを一部
実現させていました。
写真はプールサイドでメルマガ執筆をしているところです。
2004年11月1日
日本で初となるコンテンツ販売の決済サイト
「インフォストア」
を立ち上げました。
「カード決済」と「アフィリエイト」を組み合わせて
コンテンツ販売を加速させる日本初のASP。
初月の取扱高はなんと1.9万円のみ。
しかし皆様のおかげで2006年は年間10億円を超える
取扱高に成長しました。
2004年10月8日
創刊後3ヶ月弱で、メールマガジンの発行部数が
10,000部を突破しました。
9月のアフィリエイト報酬も順調に伸び、メール
マガジンの力を強く体感することができました。
「商売はリストに始まりリストに終わる」
この言葉の通りで、今でもリストを集めることを
怠らないようにしています。
2004年9月12日
「ネットセミリタイア会議 First」というセミナーを
六本木のアーツ・ショップ会議室にて開催しました。
4日間の集客でしたが、17名の方に参加していただく
ことができました。
セミナーの名称に「セミリタイア」と入っていますが、
リタイアするわけでもなく、忙しく仕事をしていた事を
覚えています。
特に、メールマガジンを発行してからは、仲間も多く
なり、同時に仕事も増えて、毎晩2〜3時ごろまで
夢中で仕事をしていたことが、印象深いです。
2004年7月19日
初めてとなるメルマガ
『副業で年収7倍!私が31歳でセミリタイアした方法!』
を創刊しました。
創刊時の部数は3852部。
まぐまぐのビジネスカテゴリで新着メルマガランキング1位を
獲得しました。
この1週間前に、起業家仲間である西村さんのメルマガが、
同じカテゴリで新着1位をとっていたのも何かのご縁。
当時、メルマガを創刊してビジネスを加速させていた仲間とは
今でも交流があります。
「ちょっとメルマガでもやってみるか 」
という、気楽な思いで創刊したメルマガが、”人生の変曲点”
になるほどのインパクトをもたらすとは、この時には想像が
できませんでした。
因みにここでも「セミリタイア」というキーワードを使って
いますが、実際にリタイアしていたわけではなく、仕事は
さらに忙しくなっていました。
人生で初となるセミナーを(株)Eストアー様の主催で
行いました。
価格は税込み21,000円と高額でしたが、24名様
収容の会場は満員御礼。
このときの受講者の方々とは今でもお付き合いがあります。
今では緊張とは無縁ですが、この時はさすがに緊張して、
想像以上に喉が渇いたことが印象に残っています。
「畑岡宏光プロデュース 自由人」というサイトを
立ち上げました。
詐欺に遭って、精神的に追い詰められていた時では
ありましたが、落ち込んでいても仕方がない、と
いうことで自分の32歳の誕生日に完成させました。
ホームページビルダーを使ってコツコツと1週間
ほどかけて作り上げました。
今、見てみると、恥ずかしい出来ではありますが、
当時の思いが吐露されていて、懐かしくもあります。